『四畳半CUBE』各記事執筆者による解説

編集長のなっちゅです。
『四畳半CUBE』の執筆者達による、各記事の解説を書いて頂きましたので掲載します。
これを読めば、作品がより面白く感じられるはず!!!・・・・だといいな。



●[考察]森見ヒロイン的おっぱい懐疑 / なっちゅ軍曹

「森見さんの同人誌を作りましょう!」と言われて、さて何を書こうか? と一週間悩みに悩んだ末に最初に思いついたのが後述する『呪詛』だったのですが、その構想を考えた時点で「こりゃあ1万文字くらいしか書けないわ」と思い、だけど1万文字だけじゃあなぁ、もっと書きたいなぁ、と思った僕はもうヒトネタ欲しいなぁと考え、そうしてひねり出したのがこの『おっぱい懐疑』でした。その時点での構想はロクに考えておらず、冒頭の「森見さんと言えばおっぱいである」というキャッチーなフレーズだけを思い浮かべて書こうと決めたのでしたが、しかしいざ書いてみようとしたら案の定に筆は進まず、本来なら5人くらいのヒロインは網羅するつもりだったのですが、結果として3人しか書けませんでした。その3人も書きながらあれやこれやと論をでっち上げるしか無いものですから、当たり前のように破たんした文章となり、大変見苦しい内容となったのですが、でも『おっぱい懐疑』と題している時点で見苦しいのは分かり切った事であったし、きっと読者もそれを承知の上で読むはずであるという希望的観測の元で書き殴り、そうして完成した内容がそれです。これを笑って許してくれる人なら、きっとこの同人誌の、どの文章でも楽しめるだろう! という登竜門的位置づけで、この『おっぱい懐疑』が同人誌の冒頭に持って来たのです。もちろんそんなのは後付けの言い訳です。今思いつきました。でもそれくらいの事を思っておかないと自我を保てないのです。だって自身初に作成した同人誌の最初に書いた文章が『おっぱい懐疑』だからね。書いた3日後には黒歴史となっていました。たまに知り合いに「おっぱい面白かったよ」と言われる都度に嬉しいような、死にたいような気持になります。でも「面白かった」と言われると最高の気分になれます。好き勝手書いたので、きっと不愉快に感じた人もいると思いますが、それでも面白いと思ってくれた人が居るだけで、僕は本当に幸せです。黒歴史だけど、後悔は無いです。読んで頂き、ありがとうございました。



●[小説]鎌倉的四畳半神話大系  空転、恋の鎌倉 / いちひと

森見登美彦氏の著作は概して京都で物語の展開をみる。私は学生時代を神戸で過ごしたため、京都にもときおり足を運ぶ機会を持った。ゆえに作中の地名や通りの位置をおおよそぼんやりとながら頭に描きつつ読み進めることができた。

しかし京都の地理に明るくない向きは、例えば『有頂天家族』の矢三郎がどこをほっつき歩き、あるいは『太陽の塔』の“ええじゃないか騒動”がいずこで発生し拡大をみたのか、要を得ぬままに物語のオモチロサに引きこまれていたのではないか。

これは不公平である。地域格差である。今日、選挙の一票の価値の不均等なることを、最高裁違憲状態と判断を呈している。森見作品を読むにあたっても、日本中の万人がオモチロサを均一に、そして均等に分かち合えてこそしかるべきではないのか。

俄然、私は激怒した。森見読書機会均等法の可及的速やかな制定が求められる。法案の立法を見据え、国民の理解を事前に得るためにマニフェストを制作することとした。これこそが、『鎌倉的四畳半神話大系』である。

法案制定の足がかりとして私は、森見作品は日本国において普遍的価値を有することを示さねばならないと考えた。つまり人口に膾炙される必要がある。

私は手始めに坂東の住民への布教を目論んだ。京都は1200年になんなんとする古都である。これにはおよばないものの、箱根の関を越えた坂東にも鎌倉という武家の古都が威容を示している。その鎌倉の片隅に私は草庵をひっそりと結び、市内にひしめく神社仏閣の参拝を自らに課していた。

「森見作品の舞台を鎌倉に置き換えたらどうなるであろう」

はたと天啓に導かれた私は、猛然と執筆にあたることとなる。題材には『四畳半神話大系』を選んだ。江ノ島電鉄鶴岡八幡宮高徳院大仏、御霊神社の面掛け行列。自分好みの鎌倉をこれでもかこれでもかと押し込んだ。ところが書き上げてみて、坂東の住民に森見作品のオモチロサを、という当初の壮大な理念が二の次になっていた嫌いはなかったか。私もいささか反省せざるを得ない。法案もどうでもよくなった。後は野となれ山となれ。ええじゃないか。

もしも鎌倉に“私”や“小津”がうろついていたら。『鎌倉的四畳半神話大系』であるが、このような妄想を出発点としている。今回、私の日常的な非生産的思考を世にさらす機会にあずかった。『四畳半Cube』の言い出しっぺたるなっちゅ軍曹君には、お礼と「阿保ですね」の言葉を贈りたい。



●[小説]安栖小桃の見ている、世界 / 銀

実は、私の鉄子歴は短く、
一番最初に好きになった電車が中央線201系でした。

オレンジつるつるボディに真っ黒フェイスが、
魅力的な停車駅を通過してゆくのは、まさにファビュラスマックス!

引退してしまうと決まってからさらにその愛は深まり、
201系さよならツアーでは相模湖駅で涙をダアダア流しながらお別れしました。
そんな、201系への想いを込めた小説を書いてみたいなぁ、と、思っていたのですが、その夢をこの場で叶えてみちゃったZ!!

な、作品です。

まあしかし、一番苦労したのは、
やっぱり先輩と安栖小桃の気持ちの流や動きでした。

先輩が最後に「京都に行こう!」なんて、頑張って発言してますが、いかんせんこの先輩ったら、ちょー消極的。
そもそも、当初は安栖ちゃんのことを煩わしく感じていた先輩に、この台詞を言わせられたのは、安栖ちゃんの努力の賜物なんです。

どうしたら奇想天外にしか見えない安栖ちゃんのことを、
先輩が意識してくれるようになるのか。うむむ、と、考えました。
安栖ちゃんも中々、本音が見えない子なので、うむむむと、悩みました。

なので、二人を端から見て的確なアドバイスをしてくれる、栗本の存在には助けられました。栗本いい奴! お前、ほんと、いい奴! 

先輩と安栖ちゃんの友情が、愛情に変わるのは、もう少し先の話になるんだろうな、と、思いつつ。
この作品は、サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」を聞きながら書きました。え、「電車男」を意識したつもりは、毛頭ないですよ。楽曲の青春★な、雰囲気がよかったので。



●[旅行記]ある阿呆の魂の咆哮と彷徨の記録 / 小林淳一

「小説を書きたい!しかし、ネタもアイデアもない!しかし、書きたい!」そんな想いが発露した紀行文になりました。ずっと一人称で行くのも良いのですが、他の紀行文を書く執筆者とは差別化を図りたい。それに、わざわざ七尾まで独りで来たのに、特にトラブルも無く旅行を終えたらつまらない。つまらないことを面白おかしく書くことも技量かと思いますが、それは自分のやりたいことではない。では、どうしたら飽きの来ないように読んでもらえるか?それで主人公であるKに第三者的に突っ込みを入れるという、今回の形を取ることにしました。ただ残念なことは私の筆力が無いために、Kの主観部分と第三者的部分の書き分けが出来ていないことです。どちらも同じような文体に成ってしまった……。この筆力の無さは永遠の課題です。
ここからは本文について触れていきます。まず、今回の重要な要素の一つであるウクレレ(笑)作中ではウクレレをKが邪魔者のように扱っていますが、実際はそんなことはないこともなかったです(笑)けれども、あのウクレレが一つのポイントとなり、話が膨らんだので良かったです。気前良くウクレレを貸してくれた染谷嬢には深く感謝をしております。
それと恋路海岸の幸せの鐘。作中ではバスを乗り換えていかなくてはらない、とありますが、バスを乗り換えなくてはならないことを知ったのは、旅行を終えて作品を描いているときです。今はネットでバスの時刻表、それも地方の路線バスの時刻表が見られるのですね。便利な世の中です。旅行中のKはバスの時刻表の見方を勘違いしていたようで、穴水駅からのバスにずっと乗車していれば良いと思っていたようです。前調べって重要ですね。
 それと最後の手紙については、実際に送ったものと全く同じ文面、ではありません。実物は送った相手の名前が記述されており、誰に送ったかが特定されてしまうので、修正を施しました。しかし、大筋は同じです。

 最後に。 これほどの長文を書いたのは人生で初だったので、至らない点は多々あったかと思いますが、自分では全力を出したつもりです。そして、この紀行文を読んで七尾へ行きたくなったり、『恋文の技術』をもう一度手に取ってもらえたのなら、これほど自分にとって嬉しいことはありません。
 我々「四畳半CUBE」は来年の秋にも「四畳半Cube」を出版し、私も執筆するつもりですので、そこでまたお目にかかれたら幸甚です。



●[漫画]青山くんの森見作品研究ノート / ほかほか女将

Coming Soon



●[小説]拝啓如意ヶ嶽薬師坊さま / ちよ

私(わたくし)でございます。筆者は酷い人間です。
私を淡海に飛び込む、すんでのところでまで追いやるなんて横暴です、鬼です。
それならば、私にも言いたい事はお山ほどございます。

 まず、世界がなっておりません。筆者は江戸時代の前半を参考にしたと言っておりますが、何をおっしゃっているのですか。長屋に関しても京の長屋を調べきれず、道や井戸の位置関係がわからぬからといって、田舎侍のはびこる江戸の長屋を参考にするなぞおかしな話でございます。確かに商家と長屋は違うものでございますが、他にいくらでも調べようがあったのではないのですか。また、夜というものが、まるで分かっておりません。この時代の暗闇で薬師坊様が私の化粧など確かめられたというのでしょうか。あの頃は私も胸が張り裂けんばかりの気持ちで騙されてしまいましたが、今思えばおかしな事でございます。
 私の語り口調にしても、文末が「です」「ございます」「でした」ばかりではありませぬか。くどくどと、これでは見るに耐えませぬ。もっと、さらりと美しく書いて頂きたいものです。最終入稿とやらの直前まで、見苦しく直し続けて、今だに直したいのでございますか。もっと手際よく出来ぬものでしょうか。敬語にしても、薬師坊様に対するだけでよいものを、途中まで他の方々に対しても用いるとは、世の中に媚びている貴方の性格の表れのようなものです。全く、懸命にやったからと言って、下手な人間には下手な文章しか書けぬものなのです。貴方が貴方である事に何か不満があるのですか。それに、私は普段こんな言葉は使いませぬ。もっといけないのは、あの杉は架空のものだったという事でございます。筆者は自分のせいではないなどと言っておりますが、三又にして何を企んでいた事やら。
 しかし、本当に洛中は艶やかで華やかでございました。扇屋に舞う色とりどりの扇子、勧進僧達の墨染めの衣、辻の物売りの声、前をゆく女人の小袖には雪持笹がひらひらと揺れます…あぁ、もう一度参りたいものです。人から聞いた話では、白粉屋さんは、今も大変繁盛しているようでございます。都もあの頃とは変わったのかもしれませぬが、今の私にはよく分かりませぬ。
本当に世の中には、私には分かりかねる事ばかりでございます。

でも、まぁ…生きていればまた面白い事もありましょう。



●[旅行記]京都 乙女旅のススメ / りんご ・ 京都ぐるぐる一人旅 / 秋水

Coming Soon



●[小説]ナカメ合戦 / ユメ見ズ

最近、ロマンチックっていいなあ、と思う。
そんなことをいうと「なんですか、いまさら中2病ですか」と
いわれそうだけど。

ロマンチックって大概が恥ずかしいことじゃないですか。
でも、その恥ずかしいことよりも、その前提にある気持ちに
目を向けられるようになったのは、たぶん僕が大人に
なったからなんじゃないかと思います。

僕が書いた物語はラブストーリーですが
恋愛って日常で一番ありえるロマンチックなんだと思います。

運命という言葉があるけれど、僕はどちらかというと運命を
信じてません。信じていないというとなんだか大げさ
ですが、まあ、どうでもいいです。運命って結果論であって
最終的におさまる場所におさまらなければ
それって運命っていえないと思うんですよね。

運命の恋なんて、書くはずじゃなかった。

けどこれはもう書けてしまったとしか言い様がありません。
書いている自分も、物語も、時間と共に呼びこんだものが
結果として運命を思わせる物語になってしまった、それだけのお話。

そして「変化」です。
一歩踏み出すことで生まれる変化、続けていくことで気付く変化、
しかしその変化も繰り返しているだけでは変わらないものへと変化してしまう、
そしてさらなる変化が必要となる。続けていくことで呼び寄せてしまう
状況もまた変化のひとつだと思います。変化は連鎖となってまた変化していく。
自分の「変化」は相手の「変化」を導くものでありたいという僕の思いも含めて。
                             
なんでこの物語が書けてしまったのかを考えてみると、
たぶんそういうことをずっと思っていたんだと思います。
ロマンチックにしても、運命にしても、変化にしても。

僕はこの物語が書けてよかったと思っています。



●[コラム]一西洋人から見た森見ワールドの魅力 / ジョン・GB・タウンゼント

読者諸賢、四畳半CUBEをお楽しみいただけましたでしょうか?

我らの偉大なる編集長・なっちゅ氏から
この企画への誘いが来た時、筆者には一瞬の迷いもなかった。

だって、大好きな森見氏のオマージュ同人誌を
愛すべき阿呆ども(もちろん自分含む)と共に
作り上げるという、人生に一度あるかないかの貴重な機会である。

「参加したいのだ!参加させてくれぇ〜!」
…筆者はさほど深く考えずに名乗り出たのである。

しかし待てよ。

日本語を母語としないこのわたくしには、
一体どんな記事が書けるというのだ?
仲間たちが書いているような小説や評論を書こうとしたところで、
甚だ乏しい自分の表現力と語彙力を考えると、
この冊子に相応しい文章が書ける自信はまるで皆無である。

それだったら、答えは一つ。
上手下手は別として、
自分にしか書けないものを書くしかない。
そんなこんなで、「外国人からみた森見作品の魅力」
…というテーマが生まれたわけである。

テーマが決まったのはいいものの、
いかにして書けばよいのか?
大まかな目標が三つほどありました。

(一)森見ファンが喜ぶような、オモチロクおかしいものを書く
(二)それでいてちょっとだけまじめに書く
(三)自身のお恥ずかしい人生経験をさらすことで、過去に区切りをつけるとともに、日本人読者の皆様に、筆者のような外国人のことをちょっとだけ見直してもらう

そんなところから書き始め、
試行錯誤と四苦八苦を繰り返した挙句、
ご覧のような、なんだかようわからんエッセイ(?)が仕上がりました。
しかも最終〆切りのわずか1分前に、である。
(なっちゅ編集長、編集部の皆様、本当にご迷惑をお掛けしました!)

言うまでもなく、反省点は山ほどございます。
森見作品を西洋の国に置き換えたら?の例えも
自分自身の過去の話しも
もうちょっと深く掘り下げたかったのですが、
それは次回(?)の課題としてとっておくとしよう。

ちなみに読者数名に聞かれた質問だが、
あの回想エピソードの出来事は約7割ほど実話である。
どこまでが実話で、どこからがネタかに関しては
皆様のご想像にお任せしたいのですが、
この解説を最後までお読みくださったyouに、
一つだけ、特別にお教えしましょう。

筆者が実りのないナカメ作戦を繰り広げた
演劇部の乙女についてですが、彼女の髪色は実は
…限りなく黒髪に近い茶色だったのです。

すみません。
筆者はやはり生まれながらにして
極めて森見の主人公的な男である。



●[小説]ペンギン・サバービア / ニシデ

森見登美彦という作家は、マジックリアリズムの旗手などと紹介されることも多い。「京都」という特殊な土地を媒介に摩訶不思議な世界を構築する。その幻想的な世界に魅せられる者は多い。
だが「ペンギン・ハイウェイ」だけは、ちょっと毛並みの違った作品である。舞台は京都ではなく、郊外。森見氏としては実験的な小説だったのだと思うのだが、私はこれがけっこう好きで、森見作品の中では「夜は短し歩けよ乙女」と並ぶ。今回同人誌に寄稿するにあたり、紆余曲折、挫折と迷い、まあなんか色々あったのだけれど、結局私が書いたのはSFだった。それもペンギン・ハイウェイのオマージュ、である。タイトルもわかりやすく「ペンギン・サバービア」とした。

「えっ、森見ファンブックでSF!?」みたいな意図的な「ズラし」を狙ったのも少しはあるが、ちょうどそのとき私が円城塔伊藤計劃にハマっていたから、という単純な理由でもある。
ペンギン・ハイウェイにおける、少年とその親友、そして少女の三人組が、郊外で不思議な冒険をする、という構図はそのまま、ただし舞台はずっと未来。ARとかそういう単語を知っている、少しSF慣れしてる人でないと読みにくい部分も多かったと思うのだが、そうしたコンテクストを有している人にならば、ちゃんと面白く読んでもらえるのではないだろうか。

一応、中身について解説すると、「これからの情報社会に、幻想は生き残れるのか?」「人工的な土地である郊外に、はたして幻想はあるのか?」という問題について書いてみたかった。そして私の用意した答えは「テクノロジーがそれを可能にする。テクノロジーの発展は、世界の複雑性の縮減どころか、ますます『複雑さ』を増す方向に、これからは動いていくだろう。そしてそれはまず郊外でこそ発現するはず」というものだった。 「日々更新される『日常』によって、もう現実に飽きることはない」という一文がその予兆として用意してある。
……しかしそれはまあ、おまけみたいなもので、私が書きたかったのは「アオヤマ少年が三十年後にどうなっているか」であり、「ペンギン・ハイウェイで語られた『世界の果て』とは、いったいなんの比喩だったのだろう」ということに私なりの仮説を提示することであった。
未熟ゆえ書き尽くせぬ部分も多かったが、それなりに手応えはあった。満足している。

ちなみに、「モエレ沼公園」がどんなところか気になった人は、google mapで調べてみるといい。園内を擬似散策できる。



●[?]呪詛〜森見登美彦をとりもどせ〜 / なっちゅ軍曹
「森見さんの同人誌を作りましょう!」と言われて、さて何を書こうか? と一週間悩みに悩んだ末に最初に思いついたのがこれでした。最初に思いついたタイトルは「森見登美彦への公開詰問状」だったのですが、別に詰問じゃないしなぁ、どっちかって言うと嫉妬の念が強いなぁと考えた結果、じゃあ呪詛でいいや! と思い、このタイトルになりました。冒頭の『おっぱい懐疑』と同じ様に、これも「結婚して幸せそうな森見さんへの妬み」というスタンスの思いつきだけで執筆を決めたもので、『太陽の塔』で飾磨氏が主人公へ送った「許さん。許さんぞう・・・」というメールのノリを模倣したような内容にするつもりだったのですが、どのようにして論を転がしていき、どのような結果を導き出そうかと考えた末、森見氏の再生論みたいな内容になってしまいました。当初はあんな結末にするつもりは無かったのです。ですが文章を書いているうちに興が乗ってしまいました。結果として、あの様な文章が出来上がり、本当に好き勝手やってしまったので、不快に思った人も多くいると思います。「同人誌なんだから、好き勝手に自分の意見を書くのは自由だ!」と思うところもありましたし、しかし「同人誌と言え、人を不快に思わせていいはずが無い」と思うところもあり、そのバランスをとるのがとても難しかったです。なるべく人が不快に思わない内容にして、だけども面白いと思ってもらえるような文章にして、そして自分が言いたい事も包含する。自分の稚拙な文章でどこまでそれが実現出来たのか、それは読み手の皆さんで無いと分からないところなのですが、僕は今出せる全ての力でもって書きました。なので納得もしているし、とても満足しています。あくまでもギャグコラムとして読んで頂き、広い心でもって楽しんで頂ければ嬉しいです。