『四畳半CUBE』記事サンプル

編集長のなっちゅです。
実はブログでは初登場です。

文学フリマ当日が差し迫って来たので、各記事のサンプルとして、冒頭部分を少しだけ公開します。

少しでも「面白そうだなぁ」と思って頂ければ嬉しいです。

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●[考察]森見ヒロイン的おっぱい懐疑/なっちゅ軍曹
森見登美彦氏と言えば何か?と聞かれた時、読者諸氏は何と答えるだろうか。無論、森見氏と言えば〝おっぱい〟である。この結論に、まさか異論を唱える者はおるまい。森見氏の作品はどれもがおっぱいへの愛で溢れており、何気ない文章の中にもおっぱいへのメタファーで満ち満ちている。それは、森見作品を読めば誰もが心で理解しているはずだ。森見氏は常におっぱいを考え、おっぱいと共に歩み、おっぱいを愛しんでいる。森見氏が森見氏たらんとさせているモノ、森見氏のアイデンティティを確立させているモノ、それがおっぱいなのである。これは疑いようも無い、純然たる事実なのだ。(中略)しかるに、森見氏をより深く知る為に、そしておっぱいをより深く知る為に、私は森見作品に登場するヒロイン達のおっぱいに対して〝方法的おっぱい懐疑〟を試みた。森見作品に出てくるヒロインのおっぱいを疑うことで、今そこにあるおっぱいを疑うことで、森見氏の深層心理を、ひいてはおっぱいの真理を知ろうと思ったのである。森見氏の描くおっぱいが素晴らしいものであれば、森見氏も素晴らしい作家であることが証明される。それは〝森見氏=おっぱい〟という等式からも明白だろう。まさかこの等式に異を唱える輩はいないと思うので、ここでは深く言及しないでおくが、読者諸氏が頭では無く心で理解してくれると、私は信じている。
しかし読者諸氏もご存じのとおり、森見作品におけるヒロインのそのほとんどは、おっぱいについての記述が無い。おっぱいどころか、容姿についての記述すら少ない。そんなことは最初から分かっていた。この試みは、始まる前から辛い戦いになる事が目に見えていた。だからと言って逃げるのか。おっぱいから、そして森見登美彦氏から逃げていいのであろうか。無論、いいはずが無いのである。私は逃げない。私は向き合うのだ。守田君のように、真正面からおっぱいと、そして森見氏に向き合うと決めたのだ。今回、私はそのねじ曲がった考察力と、溢れんばかりの妄想力を駆使してヒロイン達のおっぱいを見極めようと思う。以下に記すは、その激闘の軌跡である。おっぱいと私の戦いが、今、幕を開ける。



●[小説]鎌倉的四畳半神話大系  空転、恋の鎌倉/いちひと
概して物語の滑り出しとは読者の興趣を掻き立てるため、巧緻な筆致で読み手をいざない、息つく暇もない展開が弄されるのが定石である。しかしあらかじめお断りしたい。本稿読者諸賢はこれより書き殴られる物語に多大な期待を寄せてはいけない。あくまで本稿は元来ならば長き人生の旅路において光り輝く珠玉がごとき存在、すなわち薔薇色のキャンパスライフを無為に、そして無駄に、はたまた無様に霧散せしめた私の慟哭と咆哮なのである。
希望の欠片もない端緒に、閲読の意欲を早々にそがれた読者諸賢も多かろう。しかし物語も人生も、一口目から甘露であろうはずがないのである。ご一考あれ、菓子パンとてかぶりついたそばから甘い具を味わえるわけではないではないか。妙味にたどり着くには何事も労力を要するのである。ただしパンにせよ人生にせよ、労力を払ったところで妙味に到達しうる確約があるわけではない。嗚呼、実に世知辛い。
しかし私も何も好んで艱難辛苦にまみれたいわけではない。「我に七難八苦を与えたまえ」などと誰が望もう。そう嘯いた戦国武将がいたとも聞くが、そんな倒錯的人生論者は即刻お引き取り願いたい。
私に安寧と静寂を。願わくは、人生の妙味を。
(中略)
そもそも阿呆の情熱に心血を注ぐ行為に快感を覚えるようになったのには、とある男の悪魔の甘言がすべての元凶であった。
男の名を、小津という。
小津と私は同級生である。顔色は青白く陰気なオーラを惜しげもなく垂れ流す様子は闇夜に跋扈する物の怪を彷彿とさせ、地底人だって彼を目にするなり日光浴の必要性を強く説いたに違いない。恐ろしく偏食家であり彼が野菜を口にしているところに、私は一度も立ち会ったことがない。彼は独自に確立した持論を堅持しており、「幸福量一定の法則」という。全世界における幸福の総量は一定であり、どこかで幸福がもたらされれば別のどこかに不幸が降りかかるシステムが神様の気分と匙加減で成り立っているのだという。神様がそんな気まぐれであってたまるか。
性、狷介(けんかい)にして自らの非生産的人生哲学に恃(たの)むところの厚い彼は、日夜、抑え難い阿呆的衝動に駆られ東奔西走する生活に無上の生き甲斐を感じているようであった。彼から品行方正なる向上心を見出すよりも、酒嫌いのロシア人、あるいはジョークのトークスキルに卓越したドイツ人を発見する方がはるかに容易であったに違いない。彼との邂逅を見なければなければ、私の人生はきっと晴れ渡った爽秋の青天のように広く高く清らかであったろう。一年生の四月、「広告研究会みそぎ」に首を突っ込んでしまったことが、返す返すも悔やまれてならない。



●[小説]安栖小桃の見ている、世界/銀
俺が安栖(あんず)小桃(こもも)と初めて言葉を交わしたのは二回生の春。
 安栖さんが落とした文庫本を拾ったことがきっかけだった。
「君、落としたよ」
 と、文庫本を差し出した俺を見て、安栖さんはこう言った。
「おお、先輩」
 先輩と呼ばれた俺は、ハテナと首を傾げた。
 安栖さんと俺は同回生だし、歳も同じはずだ。それなのに、なぜいきなり先輩呼ばわりされたのだろうか。理解出来なかった。
「あ、私の本。拾ってくれてありがとう」
 安栖さんは動揺している俺に気づかず、何事もなかったかのように文庫本を手に取ると、にっこりと笑った。白い頬に笑窪が浮かぶ。
「ああ」だとか、「うう」だとかもごもごしながら、俺は頷いた。
「それでは」と、すぐにでも踵を返して歩き出してしまいそうな安栖さんに、「君」と、俺はもう一度だけ、声をかけた。
「その、俺は君に、先輩と呼ばれるような覚えがないんだが」
 俺が言うと、安栖さんはその猫のような瞳を大きく見開き、ぽんと自分の手を叩いた。
「そうだった。ごめんごめん、あんまりにも似てるから」
「似てる、とは?」
「先輩に」
「先輩っていうのは、君の知り合いの先輩か誰かにってことか?」
「ううん、知り合いじゃないけど」
 安栖さんは少しだけ考えるように顎に手を当て、むむーと唸った。
「先輩は先輩なの。これ、読んだことない?」
 そして、安栖さんは俺が拾った文庫本を目の前に突き出してきた。
 やけに愛らしい女の子が描かれている表紙に、黒い文字が躍る。
「夜は短し、歩けよ乙女?」
 俺がタイトルを読み上げると、安栖さんは満足そうに頷いた。
「そう。あなたはここに登場する先輩にそっくりなの。だから、先輩なの」
「なむなむ!」と、安栖さんは手を合わせた後に笑った。



●[旅行記]ある阿呆の魂の咆哮と彷徨の記録/小林淳一
二〇一一年九月九日、午後八時三十分。Kは漆黒の七尾(ななお)湾を前にぽつねんと立ち尽くしていた。「何故、俺はここに独りで居るのだろう?」Kの背後には要塞のような威圧感を持つ加賀屋が煌きながら聳え立っていた。そして、南の空には月が静かに輝いている。「何故、俺はこのようなロマンチックエンジンが全開な場所で、独りでカフェ・ラテを飲んでいるのだろう?」Kは右手に持つ缶のカフェ・ラテを一口飲んだ。「おかしいぞ!何かがおかしいぞ!」心中とは裏腹に眼前の七尾湾は凪いでおり、ただただ穏やかだった。

森見登美彦の同人誌を作り今年の十一月三日の文学フリーマーケットで販売するため、執筆者を募集する!」今年のある夏の日、同人誌の編集長であるなっちゅがミクシィ上で宣言した。敬愛する作家の同人誌を作る。そして、その原稿を書く。実に面白そうだ。(中略)「では、一体何を書くべきか?」Kは再度、悩んだ。「森見作品の舞台巡りとして、京都や大阪を回ってそれを紀行文にするか? いや、それはもう、ミクシィで大勢のマイミクが遂行している。では、森見作品の評論か? いや、俺には書けない」Kは感想文が苦手な男だった。小中学生のときの夏休みの宿題である読書感想文にどれほどの苦渋を舐めさせられたか。あのときの苦しみは今尚、Kの身体に染み付いている。「それならば――。それならば、森見作品で二番目に好きな『恋文の技術』の舞台巡りはどうだ?」Kに閃きが走った。Kは森見作品において『太陽の塔』を最も好んでいたが、その次に好む作品が『恋文の技術』だった。通しで二回読んだが、それでは飽き足らず、作中の手紙の日付順に読むほどだった。「そうだ! 『恋文の技術』の舞台巡りとして、石川県の七尾を中心に回るんだ! これを実行した人は自分の知る範囲では居ない! そして、旅先の宿で手紙や日記を書いて、それを同人誌に掲載するんだ!」このアイデアを同人誌の編集会議で披露すると、Kの隣に居たジョンが「それ、面白そうですね!」と食いついた。ジョンはKと同い年のアメリカ人だ。母国の大学で日本語を学んだ後は日本で就職をし、現在は某有名ゲームメーカーで翻訳の仕事に就いている。「良いなあ、僕も行きたいなあ」流暢な日本語でジョンは羨ましそうに言った。「じゃあ、ジョンさんも来るかい?」「え? 良いんですか?」「良いよ、良いよ。その方が話に広がりが出て面白くなるし」二十人ほどの編集会議の場所が新宿の居酒屋という根本的に間違っているようなところなので、必然的に酒が入って皆は饒舌になっていた。勿論、Kもその饒舌仲間の一人になっており、熟考することなくジョンの申し出に二つ返事で承諾していた。ジョンが自分の企画を面白そうと言ってくれたことと、更に『恋文の技術』の舞台の石川県の七尾まで付いてきてくれるということに気を良くして調子に乗ったKは「よし! それじゃあ、『恋文の技術』の谷口さんのように、マンドリン辻説法をしよう!」と阿呆なことを言い出した。



●[小説]拝啓如意ヶ嶽薬師坊さま/ちよ
貴方様は私(わたくし)の事など、もう忘れていらっしゃるでしょうか。今朝、淡海(おうみ)の上を翔(かけ)る黒い雁を見かけ、貴方様を思い起こしておりました。貴方様とは異なる、ただの鳥ではございましたが、思い起こすと何やら心に動くものがございます。この文は決して貴方様に届くものではございません。ただ、つらつらと在りし日の貴方様をもう一度胸に留めるとともに、過ぎ去ってしまった私の心の内をも留め置きたいと願うものでございます。

 貴方様は天狗様で、私は人でございました。どうする事も出来ぬほど私でございました。

あの日、私は、淡海のほとりをふらふらと歩き、楽しく遊ぶ漣(ささなみ)を見ていたのでございます。浪は楽しげで、繰り返す事をつまらぬと思う事もないようで、こちらによちよちやってきたかと思うと、また何かによって引き戻される、その引き戻される事すら楽しんでいるようでございました。
 不意に砂地に影が止まりました。私は鳥だとばかり思っておりまして、気付いた頃には鳥は四肢を広げ、私の影と同じほどの大きさになっておりました。驚いて見上げた、私の二尺ほど先に貴方様がいらっしゃったのです。ゆらりゆらりと、まるで見えない船の舳先(へさき)に乗っておられるようでございました。私の父が漁に使う時のような小さな舟ではなく、竹生(ちくぶ)島の神様がお乗りになられるような大きな大きな船が見えるような気が致しました。私の顔をご覧になった貴方様は笑みを浮かべ、「ゆこう」と手を差し出したのです。その手を前に、私の頭には、この後やらねばならぬ朝餉(あさげ)の支度や、洗わねばならぬ詰袖の形や色がひらひらと舞っておりました。それを知ってか知らでか、貴方様は剽軽(ひょうきん)な神様が二人描かれた扇子を取り出し、やさしく私の頭を撫でたのです。その刹那、私の頭を強い風が吹き抜けて、詰袖や白手ぬぐい、蜆(しじみ)がころころとした味噌汁までが遠くへ吹き飛ばされてしまったのです。頭に居座っていたものが吹き飛ばされると、その白い、果てのない空間に、貴方様が入っていらっしゃいました。私は手を伸ばし、貴方様の手を取ったのでございます。今となれば、なぜあのような事が起こったのか私には分かりませぬ。ただ、それは天狗様がなせる技に他ならぬとしか言い様がないのでございます。



●[旅行記]京都 乙女旅のススメ/りんご・京都ぐるぐる一人旅/秋水
≪りんご≫
数年前、会社帰りに立ち寄った本屋さんで、私は森見先生の作品と出合いました。
キャプションに書かれている“京都”の二文字。
この大好きな二文字に惹かれて手に取ったのが、『夜は短し歩けよ乙女』だったのです。
さて森見作品にゆかりの深い京都。
私が初めて訪れたのは、中学の修学旅行の時でした。
美しい日本庭園
目にしたことのない趣のある街並み
おいしい和菓子とお抹茶、そして京料理
初めてばかりの京都は玉手箱のようで、夢中になってしまったのを今でも覚えています。
あれから十数年経った今、すっかり京都の魅力に取りつかれた私は、暇さえあればひとりでも、ふらふらっと京都へ旅に出てしまうようになりました。
こちらでは森見作品に出てくるスポットは勿論のこと、乙女を虜にする魅力溢れる京都を私なりにご紹介したいと思います。

≪秋水≫
旅行1日目
前日、この冊子の編集会議(という名の飲み会)に参加、楽しく飲酒した影響により深い眠りに落ちていたのだが、母親に「こんな時間まで寝ていて大丈夫なのか?」と起こされた結果、新幹線の乗車時刻の10分前にはホームに到着。無事に京都へ向かうことができた。事前に家を出る時間帯を伝えておいて本当によかった・・・ビバ実家暮らし。
京都到着後、真っ先にしたことは腹ごしらえ。腹が減っては旅行はできぬ、ということで京都駅近くの「新福菜館」で竹入中華そば(メンマ入りラーメン)を食べる。本当は隣の「第一旭」に行きたかったのだが、午前11時前にもかかわらず行列ができていたので、面倒くさくなって行列のなかった新福菜館に入ったのだ。東京のうどん出汁より黒いスープに驚いたものの問題なくいただく。周囲の席で注文されるヤキメシに心を奪われるも、独り身に加え、初の新福菜館だったためラーメンの量がわからず、注文をやめてしまったのだが、「ここはヤキメシを食べるべき」という情報を帰京後に聞かされた・・・ヤキメシへの思いは募るばかり。次に京都に行ったときは絶対にヤキメシ食べて帰るぞ!
旅の最初から同行者がいない切なさを味わうという、なんとも幸先の悪いスタート。そんな独り者はバスに揺られること1時間、大原三千院へと辿り着く。



●[小説]ナカメ合戦/ユメ見ズ
僕はとある街のとあるコンビニエンスストアで働くしがない店員である。 特にやりたいことがある訳でもなく「僕を見てください」と胸をはって言える程の容姿は おろか、秀でた才能も見当たらない。さしずめ、平凡かつ冴えない男といったところである。 この世にごまんとある仕事の中からわざわざコンビニエンスストアの店員というポジションを自ら選び、地道にコツコツと労働にいそしんで、僅かな日銭を稼いで暮らしているという現実。 それはこの物入りの時代において、極めて残念な要素のひとつといえるのではないだろうか。 自分のことで精一杯。 そんな僕の隣りに彼女というべきその人はいない。できることなら彼女の一人や二人。と思ってはいるものの、コンビニで働く冴えない男を好き好んで交際してくれるような物好きな女性が、果たしてこの世に何人いるのだろうかと考えてみたところで闇同然。星の数ほど女性はいるというけれど、おそらくあれは都市伝説である。金のない男よりは金のある男、顔の悪い男よりは顔のいい男。つまり金もなく、顔もいいとはいえない僕にとって、まさにこの世は地獄絵図。彼女などというものは想像上の生き物、いや、妄想の産物にしか過ぎないのである。そしてひと度堕ちると奈落の底まで一直線のこのネガティブな性格。 一体誰が救ってくれようか。 そんな僕が彼女に気づいたのはいつの頃だったか。 残念ながらその時期は定かではない。
「そこの煙草を」
これは彼女の常套句である。彼女はだいたい決まった時間にやってきて僕の立つレジに並ぶ。彼女の言葉に、僕はそれまで背にしていた煙草の陳列棚を、斜め四十五度ばかし振り返り、時として「こちらでよろしいですね?」と復唱しては、その黄金色の小さな箱をそっと彼女に手渡すのである。そんな些細なやりとりを繰り返しているうちに、それは習慣となり、僕は彼女のことをすっかり覚えてしまったのである。 それが彼女の仕組んだ巧妙な罠とも知らずに。



●[コラム]一西洋人から見た森見ワールドの魅力/ジョン・GB・タウンゼント
読者諸賢、グッド・アフターヌーン。
ミーである。
youなんぞ知らん!
大体その外国かぶれの挨拶とへんてこな横文字のペンネーム、
いったい何様のつもりだ!
・・・とおっしゃる貴方、しばしお待ちを。
お断りしますが、私は決して外国かぶれではございません。
冒頭の挨拶は母国語であり、へんてこな横文字も、ペンネームではなく本名である。
そのとおり。筆者は紛れもなく、西洋人である。
(中略)
「外国の人が森見さんの本を読んで、一体どこが面白いか?」
と聞かれることがしばしばあるのだが、これは実に答えに困る質問である。
だって面白いものは面白いし、筆者は外国人だからといはいえ、外国人ゆえの特別な読み方をしている意識は特にないですから。
しかし考えれば考えるほど、これは確かに興味深い話題である。
というのも、森見氏ご本人は小説を書く際、おそらく筆者のような読者を全く想定されていないはずだ。それにもかかわらず、私の心を鷲掴みにする力が、森見ワールドには確実に存在している。
その力とは、一体何たるものか?
筆者が森見作品に感じる魅力は、日本人読者の皆様が感じるのと同じものなのか、
それとも別物なのだろうか?もしくは両方あるのだろうか?
もちろん西洋人全員を代弁することはできず。
あくまで筆者個人の感想になりますが、
そんなテーマについて、あれこれ思いを巡らせてみようと思います。
もし差し支えなければお付き合いくださいませ。



●[小説]ペンギン・サバービア/ニシデ
少年は左手に持った白いビニール袋を揺らして店を出た。モールの廊下を左右一度ずつ眺める。そしてもう一度右側を向いたところで、通信の呼び出し音が鳴る。
 シノハラユミ、と青色の文字が浮かび上がる。
「はい」
「ミヤモト君、まだ〜?」
「いや、用はもう済んだよ。シノハラさんは? 今どこ?」
「こっちはもうとっくに終わってるよ。カフェでコーヒー飲んで待ってる。3Fの東フロアね」
 通信が切れる。
 ミヤモトと呼ばれた少年は、ちょうど自分の傍にいたペンギンを右手で撫でた。いや、撫でるように手を動かした。するとペンギンはフリッパーをパタパタと動かす。少年の視界の隅で、青白い歯車が回転を始める。
「ここから3Fの東フロア、カフェへの最短ルートは?」
 ほんの数秒後、視界に半透明の矢印が現れ、行き先を示す。ペンギンの小さく丸い眼が少年を見る。そして少年は歩き出す。 黄色がかった丸い球体がふわふわと浮かび、それが放つ淡い光が空間を占めている区画を抜けると、今度は緑と青、絹のように細い二色の光の筋が天井から漏れ出して、空中で絡まり束になっている。少年はその中を進む。なかなか凝った空間装飾だ。
 エレベーターフロアに到達すると、少年を待っていたかのように、するりと音も立てずエレベーターのドアが開く。そしてそこにも、そいつがいる。少年の腰の高さくらいの、白黒ツートンカラーの生き物が直立している。少年が乗り込むとドアが閉まり、エレベーターはゆっくり上昇を始める。
(中略) 
 世界は意味に溢れている。これは比喩だ。
 だが実際のところ、陳腐な比喩などではなく、この世界は意味が支配する世界へと猛スピードで変貌している。今にも溢れて、零れだしそうなほど、意味で一杯だ。情報への意味付けと重み付け。ベイズ統計の手法を活用したセマンティック・アルゴリズムの発展に伴い、求める情報へのリーチ短縮と、より効率的な情報の共有が可能になった。現実に空白があれば、すぐにそれは埋め立てられて、情報空間として利用される。ネットの隅から隅までボットが走り回り、世界は切り拓かれ、余白は埋め尽くされ、意味へと還元される。意味が無意味へと流入し、現実と空想の不等号は年々小さくなっている。いずれそれがイコールへとすり替えられてしまったとしても、少年はあまり驚かない。
「君と僕が出会ってから、五年経つって意味でもあるね」という少年の独り言が、四角い箱の中を反響する。
 もちろん、この「君」は、少年が今この瞬間見ているそれ、ではない。その背後にあるもの、だ。今見ているペンギンはひとつの個体ではない。それはアバターに過ぎず、その姿も挙動も演算の結果。計算されたもの。
 計算。
 誰が?
 ペンギン・システム。



●[?]呪詛〜森見登美彦をとりもどせ〜/なっちゅ軍曹
私は森見登美彦氏が大好きだ。氏の紡ぐ文章に心惹かれ、氏が創る物語に心躍らせ、そして氏が描くキャラクターに心奪われた、そんな数多ある読者の一人だ。この文章を読むアナタも、もちろん森見氏に籠絡された一人なのであろう。何故となれば、この同人誌が森見登美彦氏のファンブックであることに他ならないからだ。この同人誌は、森見好きが己の森見愛を発散したいが為に書かれた本であるからだ。故にこの文章を書く私も、森見ファンが読む事を想定とした内容を書かなければならないわけである。しかし、私は今回森見ファンにとって受け入れ難い真実を記す事にした。私が冒頭からクドクドと回りくどい事を書いているのは、森見登美彦氏を敬愛してやまない諸君へ警告をするためだ。誰もが胸中に抱きながらも、決して触れることの無かった禁忌について、この文章は言及しているからだ。それは、あまりに残酷な現実であり、誰もが目を背けて来た事象であった。皆が臭い物に蓋をして、綺麗な物だけを見ようとしていた。もちろん、私もその一人だった。それで良いと思っていた。疑う事無く、森見氏を賞賛し続けるつもりであった。それで満足をしていた。しかしそれでは駄目なのだ。過ちは正されなければならない。ヌルい環境に慣れてしまってはいけない。当たり前に染まってはいけない。つらい事実に向き合う勇気を我々は持たなければならない。今こそ立ち上がるべきなのだ。私は今回、その禁忌に真正面からぶつかる事にした。バッシングは覚悟の上だ。ある人は全てを否定するだろう。またある人は、衝撃のあまりに深い悲しみに打ちひしがれるかも知れない。
森見登美彦を好いてきた読者諸氏に告ぐ。これより先は見てはならぬ・・・。其は読まずとも良い。読めば心憂い、必ずや後悔する。これより先は読んではならぬ文章なのだ。

かくして、私が呈したいこと、それは最近の森見登美彦氏に対する苦言である。早々に結論から述べよう。最近の森見登美彦氏は、それはもう、てんで、もう、てんで駄目なのだ。

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【詳細】

文学フリマ
開催日 2011年11月3日(木祝)
開催時間 11:00〜16:00
会場 東京流通センター 第二展示場(E・Fホール)
アクセス 東京モノレール流通センター駅」徒歩1分
入場無料
詳細:http://bunfree.net/

ブース位置:Fホール(2階) 【オ-19】

発行部数:100部
価格:700円
ページ数:220ページ

ブログ:http://d.hatena.ne.jp/yojohancube/

よろしくねっ(・ω<)